2011年7月20日水曜日
職場で一番になること
仕事をして気が付いた事の一つに、職場にはあまり努力をしない人、新しい事に対して積極的でない人、後ろ向きな人などが多くはびこり、有能な人はそれほどいないということです。だかから、必死になって努力し、勉強すれば、決して職場で一番になるのは難しくないという事です。
2011年7月17日日曜日
プレゼント
人に何かをプレゼントする時、或は何かをその人の為のやってあげる時、心からその人の事を思ってプレゼントを探し、心からその人の幸せを願って何かをやってあげましょう。でも、決して何か見返りを期待してはいけません。それに、俺はお前の為に何かやってやったんだみたいな事も思ってはいけません。逆に、誰かに何かをもらった時、何かをしていただいた時、心から感謝し、喜びを表現しましょう。何かお返しをしたりするのもいいですね。でも、それよりも心から喜んでいる感謝の気持ちをその人に対して表現するのが何よりも大切なのでそれは必ずしてくださいね。そうする事によって相手も幸せを感じるし、また協力してくれるものです。逆にそういったのがないと、もう二度とやってやるかみたいな事にもなりかねません。人間は勝手なもので、自分が何かをする時、見返りを期待するのに、逆に何かをやってもらった場合、感謝の気持ちすら忘れる場合もあるものです。プレゼントをもらった人は、よくそのプレゼントを見るていますよ。せっかくもらったのに、「こんなのいらんは」などと言っている人を見るとびっくりします。自分も何かあげる時は注意しないとと感じます。お中元やお歳暮もそうですね。今の職場のすぐ側に、和菓子屋があります。そこで、定番の商品を買って、持ってくる人が多い。その時、職場の人はまたこれ的な事を言っているひとが多い。いただいたのに、そんな事を言ってはいけないと思うけど、やはりすぐ側の店で買うのはあまり心がこもっていないと思われても仕方がないかもですね。逆に、素敵なものおいしいものを持ってくるとその人の評価、評判もかなりあがってくることも確かです。本当に難しいですね。僕の場合、何でももらったり、していただいた場合は本当に嬉しいですが、人生最高の贈り物は、母が亡くなる少し前に僕の大好物のちらし寿司を作ってくれた事です。その頃は、もう座る事さえもままらなかった。本当にしんどそうで、可哀想でたまらなかった。そんな時に、もう死ぬのを覚悟した時に、最後にと僕の為を思って作ってくれたちらし寿司は何よりも美味しく感動しました。これぞ最高のプレゼントですね。お母さんありがとう!!!そして、逆に残念だった贈り物の話は、ホームステイ先の家族へ持っていたプレゼント、もう何を持っていったかすらも忘れたけれど、プレゼントをしたものが、ずっと散らかっていた場所に放置されていたのはちょっと悲しかったですね。
物事がうまく進まない事と部屋
仕事がうまく進まなかった時に、家に帰って部屋を見てみると散らかっていることがほとんどです。逆に、順調な時は整理整頓ができています。そう考えると、それらはお互い関連しているように思えてならない。すなわち、ちゃんと自分をコントロールできている場合、部屋もきれいだし、仕事もはかどるんでしょうね。
神様と願い事
僕は信心深いタイプです。いつも神様の存在を感じるし、今まで、自分の思い描く夢というか希望に近い形で事が進んでいきました。でも、心の中にある大きな夢、その実現はなかなかやってきません。毎週京都にある神社(それは占い師が僕をお守りして下さっている神様であると教えてくれた神社)にもお詣りしていました。それに、毎日祈っているし、思いも強いです。では、なぜ?今までのように実現しないのか?僕はいろいろ考えてみました。まず第一に、今の仕事がまだ中途半端な状態だからではないか。次のステップに進むには、まず今やっている仕事を完璧にやりこなし、また、その職場、それは単に仕事だけではなく、人間関係であったりする、そういったものが全部学びきって初めて次ぎへ進めるのではないでしょうか?正直、今の職場ではかなり学んだと思うのです。でも、まだ、腹が立ったり、不安になったり、苦しかったり、嫌だなあと感じたりすることもあることを思えば、まだまだなのでしょうね。そして、第二に僕はその夢の実現に向かって本当に努力しているだろうかということです。大きな夢の場合、すなわち、誰もが実現できる訳ではないもの、競争が激しいものを勝ち取る為には、やっぱり努力めちゃくちゃ頑張らないと、神様も認めてくれないのではないでしょうか。僕と同じような夢を持っている人は無数にいます。その中で、勝ち取るには誰よりも、人一倍努力をしないとですね。そうやって初めてその権利を有するのではないでしょうか。さして、最後に、その願いがあまりに利己的になってしまっていないか。最近、ようやく自分の事、自分の幸せばかりを願って、神様にお願いするのは、見苦しいという事に気が付きました。自分が神様だったらそう思いますよね。毎日、大勢の人々が、神社にお参りし、自分のことばかり、お願いしているのかもしれない。やっぱり、世の中全体の事、自分以外の人々の幸せを願い、そして、その願いがかなった事により、究極的には僕以外の人々も幸せになれるようにならないととそう思います。
2011年7月9日土曜日
それならやればいい。
職場のトップに好かれる、贔屓されることにより、給料が高かったり、タイトルが高かったり得をしている人が少なからずいます。たいてい、そんな人は同僚からは馬鹿にされる事が多い。特に、仕事ができない人はそうだ。トップに対しては声色まで違っていたり、週末まで犠牲にしている人も。でも、僕はそれはそれでその人の特技だと思います。それで、昇給したり、仕事ができないのをカバーしたりしている。その人を馬鹿にしたり、哀れんだりするんだったらお前もやってみたらと思います。僕にはとてもできないし、彼や彼女がいるお陰で、煩わしい仕事をしなくてすんでいるのだから、ありがたい事だと思っています。
どうしようもない。
この間、昼食をとっていて、休み時間が1分すぎました。その時、女性の上司が大声で「いつまで食べてんの」と凄い剣幕で怒鳴りました。そして、その夜にも、長々と主任としての自覚がないとか、時間がすぎるのが気が付かないくらい食べているのは信じられないとか、注意のメールが届きました。本当はその場にいた人は全員時間に気が付いていました。でも、そこに一人大先輩がいて、その人が熱心に話をされていて誰も遮るのは失礼だと思いできなかったので。
僕は上司から怒鳴られ、注意された時、彼女は馬鹿だなあと哀れに思い、なんて可哀想な心の乏しい人なんだと思いました。
だって、僕は毎日誰よりも早く出社し(彼女より半時間くらい出社時間が早い)、仕事も毎日真面目て懸命にやっている、しかも、休み時間は時間厳守で8年間守っている。そんな僕がたった一度時間をオーバーしたら、普通は何か原因があるのではと考えるのが普通だと思っていました。それに、たった1分のオーバーでそこまで怒られりものかと考えたりもしてしまいます。
そういう彼女は仕事時間中に、お菓子を買いにいったり、おしゃべりをしたり、なんだか訳が分からないです。
でも、どうしようもないんです。このような人には何を言っても無駄なんです。
こういうタイプは正論を言っても理解してくれる事はまずないし、すなわち、感情で行動をしている人にはその感情に触れないようにするしかなのです。
僕の仕事に対する熱意は凄いものがあるし、目指しているものが彼女とは全く違うので、なんとも思わないようにしていますが、それでも、ストレスですよね。
心が傷ついた時
僕は昔から、友人や知り合い、同級生、同僚など様々な人から、率直な意見というか、僕以外の人には気を使って言わないであろうという言葉を言われ傷つくことが多々ありました。そんな事を言われてもいつも笑顔でそうなんだと、じゃ気をつけよと答えたりしていました。明らかに僕を馬鹿にしている、軽蔑しているのは彼らの態度を見て明らかです。人の表情って自由にあやつれるものですが、僕に対しては、別段気を使う必要もないと判断したのでしょうね、思いやりのない表情、どうでもいい表情がありありと見えました。
皆が僕の発言を期待して聞いているのが分かりました。僕はそれを見ていつも言ってしまう単語を言うのを止めました。だって、今にも一斉に僕を馬鹿にしようとしているんですもの。言わなかったら言わなかったで今日は言わなかったなと上から目線です。
高校の同級生が集まった時、男子たちは買春をしに、町にくりだしました。でも、僕は全く興味がなかったので、一人辞退して、家に帰りました。その時に、ある男子が言った言葉「あいつには高い代金をふっかけようと思ったのに」それ以来、もう誰とも会うのを止めました。なんだかとってもむなしかったのを覚えています。
ロンドン留学中に同じ寮に住んでいた女子生徒、僕より遥かに下のクラスの彼女が僕に言った言葉「そのださい英語なんとかならない?」それを聞いてびっくりしました。確かに、僕の英語の発音はおかしい。でも、彼女の英語は外国人と意思の疎通すらできないのに。
同期の同僚が言った言葉、「ややこしい仕事はあいつに押し付けよう」
今のはほんの一例でこんなのが無数にあるんです。ぼくだって傷つきます。でも、悲しいのは言われた後の、数十分で、その間、必死に言葉の意味を考えて、自分の直せる所は直して、今から、再スタートを言い聞かせていました。
でも、そうは言っても心の深い部分ではやっぱり今でも覚えています。っていうかほとんど忘れていて今文章を書く為に思い出しているのですが。
で、何で僕はこんなにもたくさん傷つくような事を平気で言われるのだろうと、何度も必死に考えました。でも、長いあいだ答えが出ませんでした。でも、ある日ようやく気が付いたんです。僕自身もまた他人に対して率直な、というか傷つくようなことを言っているのかもしれないって。きっと、僕の言動で傷ついた人の怨霊が僕にこんな目に遭わせているんだってね。僕は人に傷つけられた時、僕にも何か悪い点があるのではって考えるようにこころがげています。
2011年7月4日月曜日
日本という国。
昨今、日本の政治や政治家に対しての不満が高まってきています。というよりも、もう何年も同じような状況ですね。でも、よく考えてみて下さい。日本という国は日本人を代表しているのです。日本という国を人物に例えるなら、そこらにいる日本人と瓜二つですね。日本の政治を批判している人達の多くは、自分自身を批判しているのと同じだと思います。実際彼らは、何か実行しているのですか?毎日の生活を顧みて、あなたは彼らを批判できるような事をしていますか?批判されている政治家の態度を見て、そんな人、そこら中にいるのになあと思ったりします。彼らを批判するのと同時にあなた自身も変える努力というか向上する努力をして下さい。そして、自分以外の誰かの為に何かをしてみてはいかがですか?
2011年7月3日日曜日
怒り方。
せっかく正しい事を言っていても、いらだつままに、感情をあらわに注意すると、なんの効果もありません。嫌われるだけです。あなたは何の為に注意するのですか?もし、注意する相手にアドバイスするつもりなら、その人の向上の為に注意するのなら、愛情を込めて注意しましょう。そうすれば、相手にも伝わるものです。ただ、自分に鬱積したいらだちを解消したいだけなら、怒鳴り散らすだけでもいいでしょうが、あなたは間違いなく誰からも見下されるでしょうね。
正しいかどうかの判断。
人から注意されたり、怒られたりするとかっとなって、素直にその人の意見を聞けず、たとえその人が正しい事を言っていても吸収できないものです。それは年齢があがるにつれて更に難しくなります。ただ、自分が尊敬している先輩からの助言であったりすると同じ言葉であっても、重みがありありがたく感じます。では、どうやって注意や助言を冷静に聞けばいいのでしょうか。職場や家庭で、怒ったり、注意している人の話を聞いていると、おかしいなと思うものも正しいなと感じるものも、また単なる嫌がらせにしか聞こえないものもあります。ここで、注意したいものは、嫌がらせを言う人はいつも同じ、正しい事を言っている人もいつも正しいことを言うものです。そう考えると、他人に正しい事を言っている人は、自分が注意されている時もやはりそうなので、いらだつかもしれないけれどしっかりと冷静に受け入れるべきです。逆に、他人にいつも嫌がらせや意味のない事を言っている人は自分に対してもそうなので、全くその人の意見を聞くに値しないので、聞き流しましょう。
自分にも非がある。
何か言い争いをする。そこまでいかなくても、何となく相手の行動がおかしかったりする場合があります。きっと何が原因でそうなったか心当たりがあるでしょう。そして、その心当たりに対してもそれを正当化させる根拠(理由)を持っているはずです。でも、その根拠をもう一度考え直してみて下さい。彼も行動がおかしくなっている(いらいらしている、他人行儀)ということは、自分自身にも原因、悪い点はきっとあるはずです。それは、彼がそうしたから自分もあのような態度をしたまでと言えるかもしれないけど、例えあいてがどのような態度ででてきたとしても、自分の行動、行いを決して、その人まで落としてはいけません。常に、自分は清く正しく接しないと。
また、一旦関係がぎくしゃくしても、それを意地を張っていつまでも引きずるのではなく、自分から元通りの生活に戻りましょう。彼にも少しは非があるのだから、彼もすぐに態度を軟化させるはずです。
自分は自分で。
世の中は実にストレスが多いです。仕事をしていても、生活をしていても、いらいらする事がホント多いですね。でも、自分は自分で暮らしていくべきですね。他人がおこす行動に一喜一憂していては駄目です。他人の行動は決してコントロールできないのです。それに、自分と他人の考え方が違うのは当たり前であり、どちらの考えが正しいだとかも判断すべきではない。ただ、自分は自分のやり方、考え方を人に押し付けるのはやめよう。強制したところで、その人がそれを採用することはほとんどありえないのだし、不快に感じる事の方が、多いでしょう。
逆に、他人は特に、自分より立場が上の人は、何かにつけ、意見を言いたがる。それに、思い通りに動かそうとする。怒られる事もたびたびです。その場合、できる限り冷静に客観的に見れる努力をしましょう。怒られたり、注意されたりしたことに、かっとなってしまうのではなく、その中から本当に自分にとってプラスになる何かを探し出しましょう。あとは、もう放っておけばいいのです。腹をたつ必要もなく、馬鹿にする必要もない。その人はその人のやりたいようにすればよし。自分は自分の仕事や生活を淡々とすればいいのです。決して、自分の軸は曲げないように。汚染されないように。
誰の為に。
自分の事しか考えていない人と仕事をすると不快感を他人に与えてしまいます。それは、その人物がリスクを回避しようとするばかりで、その結果、そのリスクが自分にかかってくるかもしれないからです。それに比べて、仕事の内容が真に仕事のため、例えば、お客様が心地よくサービスを受けるため、常にお客様の事を頭に浮かべながら仕事をする人と仕事をすると気持ちがいいものです。前者の例の場合、例えば、お客様が現地(中国)のスタッフのトラブルで飛行機に乗れないかもしれない、どうしたらいいかと相談を受けました。その人にどうしたらいいかアドバイスを与え、彼女の仕事はそれで終了しました。翌日彼女にお客様はちゃんと飛行機に乗れましたか?と質問すると、それを確認していない、その後どうなったかチェックしていない、しかも、お客様の予約番号や航空券番号すら控えていない為、もうPCからは確認できなくなっていました。唖然としますよね。一旦、彼女の責任を離れるともうどうでもいいのです。彼女はお客様が飛行機にちゃんとのれるかどうかが心配なのではなくて、自分の責任が怖いのです。
嫌な先輩。
職場に口先ばかりで能力のない先輩がいます。人に不快感を与える面においては天才的です。今までの人生では例外なく、そのような人物=人にひどい事をする人は自分も同じような目にあってこの職場を追われていきました。でも、この先輩だけは例外なんです。なんどか、ピンチにあってきたのに、そのときに自分を改善するでもなく、それを乗り切り更にひどい人物となって、更に高い地位を得て、自分の立場を確立しています。それはどうして可能なんでしょうか?僕が今までみてきた法則からはずれています。唯一、今までの人と違う点を挙げてみれば、彼女自身は自分が他人に対してひどい事をしているとは知らない事、或は、よかれを思ってやっているかもしれないという事。ピンチのときも自分が悲劇のヒロインであると本気で思っているのです。今までの人は、悪い事をしていると分かった上でやっていたと思うので、その点では大きく違いますよね。でも、周りに与える、周りが受けるストレスはかなりのものがあります。
これから彼女がどのような人生を辿っていくのか興味があります。果たして、このまま、彼女は例外となるのか。それとも、彼女はピンチから学ばない、即ち、再び自分の事しか考えない為に、この職場を追われるのか。
人生は修行だそうです。
人生は修行だということです。修行をする為にこの世に生まれてきた、その為、幸せいっぱいで順調な人生なんてあり得ないのです。つらい事や困難にぶちあたると、自分は不幸だとか、落ち込んだりします。もう生きる事そのものを拒んだりする場合もあるでしょう。でも、それは自分を高める試練=チャンスであり、順風満帆な生活よりも恵まれていると考えるべきなのです。困難にあってしまった場合、もしその困難から逃げたら、また同じ困難がやってきます。それを克服しない限り何度もやってくるでしょう。先延ばしにしていたら自分も決して成長することができないのです。
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